椎名寛尚の心意気

祖父・父から受け継ぐもの

私の父は横須賀市の小学校の教諭として38年間活躍し、家族を養い、同時に僧侶としての道を歩んでいました。母も同じく元教諭で子育てを機に退職し、父が小学校への勤務中はお寺(佐原・慈眼院)を護る小住となって昼夜働いていました。

正覚寺副住職寛尚は三人姉兄の末っ子。生まれた時は、腎臓病を患い、1個摘出という大手術をする程。母は幼少期の私に付きっ切りでした。

父の実家は、三春町の浄蓮寺。父は三男なので「お前は佐原のお寺に行け」といわれ当時無住の慈眼院へ。若いころから教員&住職として生活を送っていました。

父の父、つまり私の祖父は、浄蓮寺の住職でもあり、三春幼稚園の園長という立派な肩書き。100歳まで現役を続けていましたが、突然の交通事故で遷化したのでした。

お葬式には、内閣総理大臣の小泉純一郎氏がお参りに来るという程のもの。

大学生の私は大層驚き、祖父の偉大さを改めて知りました。父は祖父の教えを真面目に守る人です。

「坊さんは寺にこもってはいけない、仕事を持て。」だから二足のわらじを履きました。

でも人に与えられた時間は皆同じ。24時間しかありません。だから留守中のお寺は母が務める。月に一度のお経の会も、春の花祭りも準備に追われる母の背中を私はいつも見ていたのでした。

働く母の姿を見て

母の実家は汐入の小さな鉄工所。幼いころに産みの母を亡くした。母の兄妹は皆信仰深い。

祖母が死と引き換えに残していったものは、我が子へ仏さまを信じて生きなさいというものでしょうか。

そんな母がお寺に嫁いだのだから馬力がでるのも当たり前?

母を頼ってお参りに来る人が増えていきました。

私は僧侶の名を「浄眼院日京」と名乗っています。「京」は母の名前の一字です。「京」とは「都」という意味です。

都会には人が欲するものが揃っています。そして人々が集まるのです。

僧侶にはやることが沢山あります。お経、お説法、書道、学問、布教、色んなことを体得したいとう求道心がそこにはあります。

心は環境で変わる

最近子育てをしていてよく実感することは、子どもは親の言葉や仕草を、良くも悪くもよく吸収してくれるものだなぁということです。

その人の生活環境が、その人の心を形成していくのかもしれません。

ですから、大切な人の供養を通して仏教に触れるとき、良いお坊さんに出会えたなと思ってもらえたら嬉しいです。皆さんの人生観(心の形)が変わっていくような、そんな刺激が与えられるようなお坊さんになりたいです。

花押