利用されている方の声

納骨堂を利用されて2年半が経過する方(Iさん)のご家族にお話を伺ってみました。そして快く当サイトへの掲載を了承してくれました。

Iさん家族との出会い

納骨堂利用者の声Iさん家族は、2年半前、30代のママを亡くしました。家族は、母親、夫、小学生児童の3人です。突然の家族の死、信じられない気持ちで葬儀を終え、ご遺骨を当時お葬儀でお世話になったお寺さんに預かってもらうことになりました。

しかし、ご遺骨はお寺の本堂の中、土曜、日曜はお寺では法事が行われていて、自分たちの都合のいい時間にはなかなかお参りができませんでした。遠方ということもありました。そんな時、知り合いを通じて正覚寺の「安住廟」を知り、互いに何度かお話をして、ご遺骨のお引っ越しを決めたのでした。

住職:あれからもう2年半ですか、時の流れは速いですね…

Iさん夫:そうですね。最初の頃は、1週間に何度も足を運びました。寂しかったですからね〜。

住職:当然ですよ。顔と顔を合わせて暮らしていたんですから。

Iさん夫:49日で遺骨と離れるのも嫌でした。正直、家に置いておきたかった。

でも、周囲の人には「おうちから出発させてあげることも大切。」とか、以前の住職さんにも「日本には昔から遺骨を自宅に置きっぱなしにするという風習はない。」などの話を聞いたことがありました。

そうだなと思い、僕なりに勇気を持って決断しました。自分の寂しさよりも、故人に、行くところにちゃんと行ってもらいたいという思いが勝ったのかもしれません…子どもたちも寂しかったでしょうが…

でも、今こうして月日が経って思いますね。納骨堂へ納めて良かったと。ここへ来れば会える、そんな気持ちです。引越しの前に住職さんと何度もお話ができたことも良かったです。この人なら信頼できると思いました。妻の遺骨も心も守って欲しい、と。

ここは室内なので、どことなく安心感があります。扉の向こうにあいつがいるって思える。

法事の節目などには、遺骨と対面させてもらうこともありました。家族がまた揃ったような気持ちです。

仕事でお参りに行けない時は、誰か他の方がお花やお供え物をくださっているので安心です。最近は甘えちゃってますけどね(笑)

でも、自分も時には誰かを支えているのかもしれない、そんな風に思える時もあります。仏教って、そういうことでしょ住職さん?

住職:ええたぶん。なんかかっこいいですね。仏心じゃないですか「忘己利他」的な?

Iさん夫:子どもたちは自分たちが大きくなったら立派な墓を建ててやるんだ!なんて言ってます。夢です(笑)

自分としては、このままでも満足です。住職さんも「ここはお墓だよ」って言ってくれているし。10年単位で預かってもらえるので、焦る気持ちはありません。住職さんが見ててくれるから安心です。

子どもの成長は早いですね。自分たちも年をとるわけだ。

体が動くうちはずっとお参りさせてもらいます。

後記

住職である私が嬉しく思うのは、この方が遺骨と同時に心(魂)を守って欲しいと言ってくれたことです。遺骨という目に見えるものはもちろん大切で故人を感じるものです。同時に目に見えないものの存在をこの方は感じて(信じて)います。

私は毎朝お経を上げて仏さま方々へご供養しています。また、仏さまというのは、共に仏の道を精進する仲間のように感じる時もあるのです。

遺骨が立派なお墓に入ったら終わり、海にまいて終わり、ではないと思うのです。人の心は、人の温かい気持ちによって支えられていくものです。