正覚寺の歴史などについて
正覚寺の縁起、沿革
【室町時代 八代将軍足利義政の頃】今から約570年もの昔。
お寺を開いたのは、向かいにある常勝寺の2代目【常勝坊日珠上人】というお坊さん。その後、無住の期間や廃寺の危機にさらされながらも、その時代の住職やお檀家が一丸となり、法燈を継承してきました。
現在の住職、椎名純尚上人は、第四十四世となっています。
先代四十三世【中尾三朗上人】(S2~H10)は、神奈川県庁にお勤めの傍ら、正覚寺を立派に護りました。大変勤勉な方で、筆の腕前は卓越したものがありました。
同時に、三春町浄蓮寺(三春幼稚園)
先々代【椎名英尚上人】も正覚寺を支えた方の一人です。
そして、各時代に正覚寺を陰で支えてきたお檀家の方々の大きな存在があります。
新編相模国風土記稿には
「正覚寺大谷山と号す 金谷山大明寺末寶永中立性院日然中興す 按ずるに、當寺五世等覚院日大久村等覚寺を起立す 日大は元和四年卒、本尊三寶祖師」
とある。
常勝寺二世日珠上人が、正覚寺を創建し、正覚寺五世が等覚寺を建てた。
慈眼院を中興したのは、常勝寺十五世。この地区の日蓮門下寺院は互いに密接に関係している。
佐原の歴史
お寺の裏山には『佐原城址』があります。佐原城は、三浦氏四代の棟梁で衣笠城主であった三浦大介義明の末子、十郎義連の居城でありました。義連はここに城をかまえて佐原性を名乗りました。
【佐原十郎義連】という人は、身の丈2.25メートルの大きな体格で腕力にすぐれ弓の名人であったといわれます。
また冷静沈着で思慮深く人望がありました。
将軍・源頼朝を三浦に招いての歓待の宴会の最中、上総介広常(かずさのすけひろつね)と義連の叔父、岡崎義実との間にいざこざが起こり、あわや刀傷沙汰に及ぼうとしたとき、わずか十六歳の義連が進み出て、まず叔父の義実を叱り、次に広常を諌めてその場を収めた。
また、諸将が崖を下るのをためらっているところへ、義連が真っ先に駆け降りたという話は有名であります。
佐原とはそんな人がいた場所なんですね。
横須賀市のホームページの散策コース●横須賀市内コース3にも『佐原城址』は含まれています。