日常すなわち修行
9月になりました。徐々に秋の気配でしょうか…
8月にはお盆・お施餓鬼法要があり、テレビや新聞などでも、戦争関連のことを目にする機会も多く、あらためて「命」の大切さを感じました。
仏教は、
人と人が幸せに共存するにはどうしたら良いか?
それには、
人の心の状態がどうしたら善い状態でいられるか?
を教えてくれるものかもしれません。
日常すなわち修行
最近、メディアには、お坊さんやお寺や仏教がとりあげられることが増えました。
お寺でカフェを開くところ、写経を体験できるところなどなど。
仏教を身近に感じられることはとても良いことのように思いますが、何より
「信仰の心」
「日常の実践」
が大切なのかもしれません。
そしてその実践の積み重ねが、あなたの心を丸くしていくのでしょう。「どんな環境にいる人」でも実践することができるのが、仏教の修行の深い所です。
「日常すなわち修行」です。
先代住職の遺品から見つかった書籍
お盆の片づけをしていたら、先代住職の遺品(書籍や書写行の書類など)が出てきました。
その中に、この本がありましたので手に取ってみました。
やさしく書かれた内容でしたので、皆さんにもご紹介いたします。
お弟子が釈尊に尋ねました。
「世尊よ、私たちが日常行っている行為のことをまとめて【身 口 意】(しん く い)と呼んでいますがどんな内容をあらわしているのでしょうか・・・」
『道を求める者は、常に身と口(語)と意(こころ)の三つの行いを清めることを心がけなければならない。身の行いを清めるとは、生きる者を殺さず、盗みをせず、よこしまな愛欲を犯さないことである。
口の行いを清めるとは、偽りをいわず、悪口をいわず、二枚舌を使わず、むだ口をたたかないことである。
意(こころ)の行いを清めるとは、貪らず、いからず、よこしまな見方をしないことである。
心が濁れば行いが汚れ、行いが汚れると苦しみを避けることができない。だから心を清め、行いを慎むことが道のかなめである。(中略)』
まさに仏教は心。心の在り方を大事にしています。
現代社会では様々な誘惑がありますから、特に良い修行がでいるのではないでしょうか…
少しでも仏教の教えが守れるように精進したいものです。
これらをを心の片隅に置いて生活することこそ、仏さまに守って頂くということかもしれません。
皆さん いつも心に仏さまを。