春のお彼岸を通して「供養」の大切さをあらためて感じました
お彼岸を終えて
気が付いたらお彼岸も終わりを迎えていました。
皆さんにおかれては、それぞれ大切な人のお参り、ご先祖のご供養をされたことでしょう。
私は各お家にお邪魔してお経を上げました。
そこで仏さまに対する家族の思いや、共に過ごした思い出のお話をお聞きすると、「供養」の大切さをあらためて感じます。
あるお宅では、以前に息子さんが交通事故で亡くなり、お母さんが私を待っていてくださいました。
お仏壇の周りには、その方が幼かった頃からのお写真が飾ってあります。お母さんにとっては今なおご自分のかわいい我が子です。
どうしても姿は見えず、手を握ることも叶わなくなりました。
ですが、心は滅したわけではないと思うのです。
立派な仏さまになって生き生きと過ごしていらっしゃると私は信じています。
ですから残された私たちも仏教の教えや文化に少しずつでも触れていくことが、仏さまと共に時を刻んでいくということになるのではないでしょうか。
お彼岸・お盆などの節目を大事にしてあげること。
不慣れなお経でも少しずつ読んでいくこと。
仏教に親しみながら生活を送ること。
「いただきます」で手を合わせるなど。
この日常の積み重ねが、あなたの仏さまを信じる心を膨らましていきます。
合掌
寛尚のお彼岸!
お彼岸のお中日は昔から平塚の大きなお寺さんへお手伝いに行くことになっています。
私が唯一電車に乗ることがある日です。正直電車の乗り換えが苦手です…
大船駅で横須賀線から東海道線に乗り換えるのですが、この日は、(この日も)駆け込むような感じになってしまいました…
「あ~ちょうど良く乗れた~」とひと安心したのもつかの間、この電車どうやら各駅停車じゃない…
目的の平塚を通り越して、小田原まで行ってしまったのです…
あーやばいやばいと思いながら、どうすることもできないのであきらめました。というお話です。
それではお題目をお唱えします
お彼岸はいつもより私たちの気持ちが仏さまへ届く期間です。
こっちの岸とあっちの岸が近づくとき。
お彼岸は仏さまが特別に設けてくれた貴重な期間といえます。
手を合わせてもらった亡き親御さんや故人様はさぞ嬉しいことでしょう。
しかし、あなたのその気持ちはもっともっと多くの人を救うことが出来るのです。
というのは、私たちは、お仏壇のお位牌の故人様、写真のある故人様、お墓に入っている人だけを心に描いて供養してしまいがちです。(それの何がいけないの!ですね)
お経を読んで供養するということは、お経に書いてある仏さまの温かい心すべてが普く人々の元へ運ばれるということです。ご先祖(縦のつながり)だけでなく(横のつながりを)